
遂に3/20(木)、AFTERS STORE 松本もOPEN!
ご来店いただいた皆様ありがとうございます!
そしてクラウドファンディングも本日目標達成!!長年のお得意様、県外、遠方からのご支援、そして何より長野ローカルの皆様!本当にありがとうございます。我々は長野のブランド。ローカルの方々が誇らしく感じてくださるように日々精進し続けます。残り5日!是非一読、よろしくお願いします。
AFTERS STORE 長野 、松本とながの東急催事を含め現在3拠点でのAFTERSとなりました。
一番最初のTシャツは1st TEAM TEEでしたがTシャツ5枚から始まったところから考えると、自分が青木島にいても、東急にいても、松本のスタッフが頑張っている姿を見てもなんとも言えない気持ちになります。誇りです。
しかしながら振り返ってる暇はないのでまだまだゴリゴリ前進あるのみ、良いサービスを頑張りたいと思います。
さてこのところ今までとは違った場所で我々のブランドを知っていただく事が増えたのですが、観光客、県外の方、そして目の肥えたマダム。今まで誰も通らない場所でコツコツとやってきた我々のサービスがそういった場所で楽しんでいただける事はとても嬉しく、長年やってきて初めての喜びです。
圧倒的に違う、そして想像力やスタイルで従来のファッションブランドとはやり方も作り方も違う我々。
先日来てくれたお得意様は私が22歳からの付き合い。話しながら数えたら「22年!」そんなに長い付き合いなんだね!なんて思わず握手してしまいました。
駅前にいた頃、買い物に来てくれて昼休憩に一緒にしょっちゅう食べにいったらーめん北京。もう大将が亡くなり店も今取り壊されてる最中だよ、なんて話したらなんだかこの20年、もう一回繰り返すともう60代かぁと思うとこうしちゃいられないぜ!と思うわけです。あの肉味噌ラーメンと半ライス、もう食べれないんですね。
いつも手前に座る、当時錦町のどっかの美容師だった金髪のお兄ちゃん。500円の焼肉丼をかっこんですぐ仕事に戻っていきました。今はどこかで美容師さんやってるんでしょうか。
大将は注文を仕上げると必ず厨房でタバコを吸う人で、私なんかそんな会話もしたことはないですけどいつぞや常連さんと話してたんですね。「俺は最後は厨房で死にてえんだよ」って言ってました。週4くらい行ってたので奥さんは年明けに「お年賀ね」と言って50本くらい入ってる割り箸セットくれたりして、「???」となりながらもすっごい嬉しい!当時アパートに帰って奥さんに「北京で割り箸もらった!」「え、うん」みたいな事もあって。当時のはじめの1歩全巻そこで読んだし、なんか別にそんな会話するわけじゃないんだけどいつも近くにあるらーめん北京さんでした。きっと大将、厨房で死ねたんだと思います。合掌
今東急に向かう朝、北京さんの跡地を取り壊しているのを見てとても寂しい気持ちになると共に、やっぱり時間は有限で、ずっとあるのがみんな好きだけど、そんなのないよ!と見るたびに思うわけです。歴史辿っても残ってるのってさまざまな石くらいですよね。
私達も死んだらAFTERS無くなっちゃうんでしょうか?いや、松本副社長と何年か前に話した会話があって、100年、俺たちが死んでも続く会社、ブランド作るんだよね!って話しました。
私は44になる年ですが、今のAFTERS、もし自分が20代だったら、いや、50代だったら、と思うと多分どっちもダメだったでしょう。
今の仲間が居てくれるから、現在地点にいれると思っています。
私の中では強く決めている目標があるので、そこに辿り着くまでにあと1年半ですか。いやぁ時間がない。生涯プレイヤーと覚悟は決めていますが、プレイする場所は変化していきます。
なので体力のあるうちに、全力で行こうと思っています。
それでも年は取るものですが今でも毎週ボール蹴ったりなんやりで、体力は昔よりあると思いますね!これはスポーツのおかげ。やっぱり動く物、動物ですからね。体を動かすことが好きな自分は死ぬまで何かしら運動しているでしょう。
そして、相変わらず店頭では皆さんにカッコよくなってもらえるよう最大にご提案を頑張らせていただきます。
スタイリングというのはいつまで経っても終わりがなく、時代も変わるしその時々の何かを象徴していて実に面白いです。同じ服でも着る人によってなんでこんなに違うんだろうね、とお客さんも良くおっしゃいますが、それはみんなそれぞれ違う人ですし、着てきた服も感性も違うのでそれで全然良いと思います。
そしていつもいい洋服を作っても、最後お客さんの手に届くようにお伝えするのが店員の仕事だと大昔から思って生きてきました。
有名なブランドが外人モデルのビジュアルでカタログを作って、店員はそれを渡すだけなんてちっとも面白くもなんともない、ブランドがなければ俺達は何になっちゃうのか、と20代の頃からずっと思っていましたが今もそれは変わりません。
裏側には本当は店員さんて、すごい仕事なんだぞ!と思っていたからかもしれません。店員さんこそがもっと注目されて地位が上がらなければならない、と思っていました。
当時からそう思い続けてきたら、やっぱりそういう店員さんはもうだいぶいなくなりました。でも今自分たちはただの店員さんじゃなくて、誰もやってない、ブランドもデザインも服も全て俺たちでやるという集団です。
しかしその思いを継承していけるチャンスもこの私が40代半ばを迎える頃じゃないでしょうか。多分それを逃したら、しばらくまたチャンスは巡ってこないんだろうと思っているので、頑張ってそんなかっこいい、かわいい、店員さんが頑張れるようにできたら嬉しいです。
さて、結局このお話ばっかりになりますがHINOKI JACKETとHINOKI EASY PANTS Ⅲ。


この3/末から4月の上がりで全量となります。本当に大きな反響をいただいて嬉しいですね。今週末はHINOKI JACKETの最終上がり!これ以上は出ません!でも予約をさらにいただいてますので是非お早めに!
皆様のご来店お待ちしております。
