
お気に入りのAFTERS®︎のCAPのフェルトがくたびれてきたので、朝作業しながら油性ペンの王様、マッキーでカスタム。
アホくさいと思いますよね?長野のブランドやってる我々がリリースしたアイテムをマッキーでカスタム??
いえ
お気に入りの雑誌をハサミで切り抜いてファイリング、気にくわないCAPのワッペンを外す、デニムを切っちゃう、縫い直す、CONSを染める、アシックスを切り裂いてNIKEのスウッシュを縫い込む。
ずっとそんな事してきました。原点は、そんなところです。
80’sのスケーターがステッカーで既存のものを違って見せる工夫をしてみたように、当然そうであるものを変える面白さとか、自分の気にいるように変えてしまう事に関して、すごく興味が昔からあります。使って行くうちに変化して行くのも好きです。だから完成された洋服や靴などを、古くしたくない、過敏に大事にしている人を見ると、「?」と思います。いや、使えば使うほど変化していくのに、常に新品状態をkeepしたいと思うなんて?と、几帳面さを敵に回すような気持ちは常にあります。作った人は、使ってもらう前提で作っていると思っていますので。
万物は、全て終わりに向かってると思っているので、生まれたものは終わりがあり、でも、その過程が面白かったり、みている人が生きてる時間は綺麗だったり様々。だからいつも私は、無理をしてでも、それは今日身につけて、今日を楽しんだ方がよくね?と思います。買うだけ買ってしまい込むのではなくて、それを理由に無理矢理どこか出かけようよ、と思うんですね。
中坊の頃、自分で考えた格好で出かけたくてウズウズして、夜中にLevi’sとREDWINGとヴィンテージレプリカスウェットにジャケット羽織って、雪が積もる中その辺の公園に歩いて行く。彼女も寝てるし、つまんないし、好きな服着て自販機で缶コーヒーとか買ってベンチに座って飲んで帰るだけ。気温はマイナス。でもそれだけ着るのなら出かけないといけなかったんですよ。
今思うと、現在毎日やっていることの原体験が、今私の息子の年に全てあったんだなと理解しています。

HINOKI PANTSに合わせたスケシューはエトニーズのサルバービア。好きな人は好き。興味ない人にはなんだこのボテッとした靴、ですよね。当時はこんなスケシューしか無かったです。ボリューム満点。
90’sがいいとかじゃなくて、当時は戻らないし、絶対「今」の方がいいに決まってますよ。じゃあなんでわざわざこんなボリュームの靴履かなくちゃいけないんでしょうか?
そこには、「〜感とか、今はコレとか、これ着たら古臭い」などのクソみたいな評論家の話を鵜呑みにしたら、これはただのでかいスニーカーで古臭い。と思うだけで、このスケシューが好きな方々とは永遠に分かり合えない。ただそれだけの話だったりするよなぁ、と、今日は朝から夕方まで来てくれた方々と話しながら思った1日でした。
紐、黒か白か迷ったんですよ。でも白だろ、ソール白だし。
そういうのですよね?
